エマニュエル・ボーヴ「ぼくのともだち」。

ぼくのともだち

ぼくのともだち

表紙は可愛らしいけど、シビアなお話。
「ぼくのともだち」の話ではなくって、「僕の友達になってくれなかった人々」の話、であります。
真面目な感想はあっちに書いたけど、本当に解説読むまでわからなかった。
この主人公バトン君は、ハッキリ言ってしまえば、挙動不審の変質者で、ストーカーで、勘違い男なのだ。そういう認識でいいらしい。わかってスッキリした。
ま、多かれ少なかれ、誰しも新しい友達を作ろうと思ったときには、そういう勘違いや、こうなったらいいな〜程度の妄想は抱くだろうな、と考えると、ちょっと笑えませんよ、これは。フランスのユーモアはキツイです。

書店のレヴュー

青年の名はヴィクトール・バトン、わずかな傷痍年金で暮らし職はなく、孤独だ。毎日友達を探すため、街を歩き回っている。しかし周囲の人々は冷たく、不安に押しつぶされそうになる。◆最後まで読み終わったとき、この話をどう捉えていいのかわからなかった。寂しい青年の哀れさを悲しむべきなのか、社会の非情さを怒るべきなのか。周囲を責めるには、あまりにもバトンに非が多すぎるのだ。自己中心的、自意識過剰、妄執的。妬み深く、友人は自分より不幸でなければならない。これでは友達などできる訳がない。◆作品の意図がわからぬまま、解説を読んで初めてわかった。この作品は痛烈な皮肉を込めたユーモア小説なのだ。バトンの愚かさを笑えばよかったのだ。この種のユーモアを理解できるセンスが自分にはなかったのは情けないと思う反面、「社会に馴染めない青年」というのが、この作品の書かれた1924年当時は笑いのネタにできても、現代の社会ではあまりにリアルで過ぎて、簡単に笑い飛ばしていいものなのか疑問に思ってしまった。06/05/13 ★★★